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著名人とペットたち(4) 無類の犬好きだった明治維新の立役者、西郷隆盛

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著名人にはペット愛好家が数多くいます。そうした著名人とペットたちを紹介するシリーズ。今回は明治維新の立役者である西郷隆盛です。

 

<西郷隆盛について>

https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/85

 

近代日本の幕開けとなった明治維新では多くのヒーローが活躍しましたが、その中で人気、実力ともずば抜けていたのが1828年(文政10年)、薩摩藩の下級藩士の長男として生まれた西郷隆盛です。

お酒が苦手で甘いものが大好物。身長180cm以上、体重は優に100kgを超えていました。身の回りのことや財産には無頓着で、「児孫のために美田を買わず」「敬天愛人」などの言葉を残した人柄から、いまなお「せごどん(西郷殿)」の愛称で多くの人に愛されています。

幕末の混乱の中においては、土佐の坂本竜馬の仲介で長州の木戸孝允と薩長連合を結び、その後、大政奉還を経て新政府軍のリーダーとして江戸に迫ったものの、旧幕府側の勝海舟と話し合って1868年(慶応4年、明治元年)、無血開城を実現。明治維新を成功させた功績はあまりに有名です。

明治新政府にも最高幹部である参議として参加しましたが、政権内の意見対立から辞職し、その後は故郷の鹿児島で士族の師弟たちの教育に専念します。

ところが、時代の変化に反発する士族の反乱が全国で起こり、鹿児島でも教え子たちの暴動から始まった「西南の役(西南戦争)」の指導者を引き受けることに。西南戦争は明治以降では最大の内乱でしたが8カ月ほどで鎮圧され、最後は立てこもった鹿児島市内の城山で自刃しました。1877年(明治10年)、享年49歳でした。

 

<西郷隆盛の銅像>

そんな西郷さんの銅像が上野恩賜公園(上野公園)に立っており、「上野の西郷さん」として親しまれています。

https://travel.yahoo.co.jp/kanko/spot-00033106/

 

西郷さんは西南戦争の後、逆賊として扱われましたが、1889年(明治22年)大日本帝国憲法の発布に伴う大赦で復権。その翌年には銅像を建立する話が出て募金活動がスタート。募金集めには明治天皇も金一封を出したといわれます。

こうして銅像は1898年(明治31年)に除幕式が行なわれました。ちなみに、西郷像を作ったのは日本彫刻界の天才、高村光雲。彫刻家、画家、詩人として知られる高村光太郎の父です。

「上野の西郷さん」は身長370.1cm、胸囲256.7cm、足55.1cmという威風堂々たる出で立ち。和服の着流し姿で散歩しているように見えますが、次に触れるように実は兎狩りに出かけているところを描いたものです。腰には兎用のワナを挟み、狩りのお供として犬を連れています。この犬は西郷さんが飼っていた薩摩犬の「ツン」がモデルとされます。

 

<西郷さんの犬好き>

西郷さんは大の犬好きで、東京で明治新政府に参加していたころから10匹以上飼っていたと言われています。鹿児島に戻ってからはさらに増えていたようで、名前が分かっているだけで13匹はいるそうです。

しかも、西郷さんの犬好きは度を超しており、宿で食事する際には自分が注文した鰻や鶏鍋を犬に与えたりしていたとか。

鹿児島に戻ってから指宿の鰻温泉に滞在していたときの様子を宿の女将が新聞記者に話した記事が残っています。

 

「西郷隆盛は明治七年二月十五日の夕方から三十日間滞在した。従者二人を伴い、一人は弥太郎と呼んで身の回りの世話をし、他の一人は愛犬の世話係だった。犬は十五六匹連れてきていて、家の周囲に大きなすり鉢を犬の数だけ並べ、兎の肉を食わせる。狩にはそのうちから三匹くらいづつ交代につれて行き、(女将の夫の)市左衛門がその道案内を勤めた。西郷さんは毎朝七時ごろに起床。温泉に浸ってから朝の食事。雨の降らない限り必ず猟に出かける。開聞嶽が大好きで、大抵はその山麓方面に犬をつれて出かけ、夕方に帰ってくる。獲物はほとんど兎である。『今日は二つ獲りもした』『今日は三つ獲りもした』と西郷さんはいつも笑顔で、帰ると早々獲物の数を報告した。そして、その兎を従者が料理して犬に与える。」(毎日新聞社『生きている歴史』)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B

 

 

西郷さんが犬好きだった理由については、いろいろ説があります。

兎狩りのお供にするためというのがそのひとつ。上野の銅像で西郷さんと一緒にいる薩摩犬のツンも、鹿児島で天神様へお参りした際、近くに良い猟犬がいると聞いて飼い主から譲ってもらったといいます。

あるいは、犬が自分を映す鏡だったからではないかという説もあります。忠犬ハチ公ではありませんが、犬は飼い主に忠実です。愛犬たちに忠孝を大切にする自分自身の姿を見ていたのではないかというのです。

別の説は、明治を代表する知識人であった内村鑑三が名著『代表的日本人』で述べているものです。同書で5人の代表的日本人を取り上げていますが、その一番手が西郷隆盛であり、次のように評しています。

 

「西郷にはひとつの趣味がありました。それは犬の趣味でした。届け物はすべて受け取らず断っていましたが、ただ犬に関するものだけは、厚く感謝して受け取りました。犬のさまざまな色刷り、石版画、鉛筆によるスケッチ画は、いつも西郷を楽しませました。東京にあった家をひとに譲り渡したときにも、大きな箱一杯もの犬の絵があったといわれます。(中略)西郷の犬は、その生涯の友でありました。西郷は犬を伴って昼も夜も山中で過ごすことが度々ありました。たいへん淋しがりやの西郷は、口の利けない動物たちと寂しさを分かち合っていたのでした」

 

西郷さんの犬好きは、猟のためや自分を映す鏡としてというより、この世で真に心通わせることのできる友としてということだったのかもしれません

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